タイ・イサーン記 3
カオブラヴィハーン遺跡

10時、ロビーに行くと、もう、SUTUS君が待っている。
カオプラヴィハーンまで快適に飛ばす。



広い平原が何時の間にか山間に入ると検問所。
暫くして広い駐車場、茶店やお土産屋も閑散としている。
トロッコのように繋がったミニカーで500m程、



こんもりした茂みの中にまた何軒かの茶店とお土産店、
其処に番人が居て、タイからカンボジャへ出国。
カオプラヴィハーン遺跡はカンボジャ側に有って、
カンボジャ側からは入れない。
3、40分も長い石段を登る。



暑い暑い。
当時は荘厳な神殿で有ったのだろうが、



崩壊の仕方も半端ではない。





1000年余りもの間、風雨に曝され、戦禍を経て、





流石の石の宮殿も破壊尽くされている。



無造作に転がる見事な彫刻に栄華が偲ばれる。





ラオスのワットプーもそうだったが、
自然のままに野放れた姿に、






いも言われぬ哀感が漂う、趣すらもを感じる。




悪友がよく言っていた、



「タイの遺跡は不自然に修復されていて魅力が無い」 が思い起こされる。
登り切って神殿の裏側に出ると、
断崖絶壁、数百m位の高さははあるだらうか、



快晴の今日は、 絶壁の向こうにカンボジャの平原が30kmも見渡せる。
その向こうがプノンペンなのだろう。
振り返るとタイの平原、
昨日はウボンから北へ100km、 今日はウボンから南へ100km、
タイの東の果てに広い平原がうねっている。
タイ平原とカンボジャ平原を仕切る高地、
ここに立ってみて、
ここが長い間、 両国間の国境紛争の地で有った事が、まざまざと窺える。

僧侶の一行が声高に話す、いかにも生臭坊主の一行だ。
SUTUS君が、 「彼等はマレーシアの坊さん」 と教えてくれた。

戻りの石段で、 「ヨイショ、ヨイショ」 の掛け声、
日本人の中老年の一行、
「コリャー、金毘羅さんよりしんどいわ」
関西弁のおばさんが、肩で息を吸っている。
麓まで戻ると、日本でも最新鋭に類する観光バス、
日本ツアーがこの辺りまで押し寄せてきている。

茶店でのビールのせいか、ウトウトしたかと思ったらウボンだ。
口数は少ないが、始終気を使ってくれたSUTUS君に、
奥さんと子供さんにと100Bずつチップを奮発。

つづく

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