メコンに沿って(23)

ハッサイクン迄戻る。
明日行きたいワットプーまでの情報を仕入れたいたいのだが、仲々埒が明かない。
入れ替わり立ち代り交渉相手が変わる。
長い時間を掛けてようやく理解で来たのは、ワットプーに行くには、二通り有る。
此処から陸路をバンムアン迄行って、船で対岸のチャンバサックへ渡るか、
もう一つは、対岸のムアンコーンから船で行くかだ。
要するに、車か、船かだ。

ところが車だと300000キップ、船だと150000キップ、えらく高い事を言う。
後で計算すると、それほどでもないのだが、○がこれだけ並ぶと嫌に高い気がする。
最初にいろいろ教えてくれた若者は英語が多少話せたが、今は傍観者になっている。
どうも、縄張りが有るらしい。

「20人乗りの船で一人250000キップだ、二人だから150000キップにしてやる」
計算に弱い私には150000キップがピンと来ない。
「おーい、150000キップは$で幾らだっけ?」
これが相棒の感に触ったらしい。
「お前、そろそろ$がキップで幾らか位憶えろよな」
更に向こうへ行ってしまう。
こちらもそろそろ頭へ血が上って来た。
相棒は向こうの方でチラチラ此方を覗いながら空を見上げている。 

渡りに船

そこへ、ガタガタと大きなバスが入って来た。
乗合バスらしい。
駆け寄って、運ちゃんに手振りで尋ねる。
「今日はもうスリープ」
と寝る仕種だ。
「明朝、7時出発、6000キップ、バンムアンには10時に着く」
それにしても、「渡りに船」とは、昔に人は巧い事を言ったものだ。

さっきまで、一生懸命我々を口説いていた男達は、
何時の間にか姿をくらましている。


宿へ帰って、
「ビール飲まないか?」
と言うと、
「別で飲む」
と出て行った。

別の店でビールをしこたま飲む。
ここも白人が多い。
凄い夕立が来た。
未だ若いが英語が堪能な主人、いろいろ情報を教えてくれた。
バスの便も結構有るらしい。
宿へ戻ると奴はもう布団を被っていた。


翌朝、清算して出てゆく相棒を、一応、見送る。
「気を付けてな」
「お前こそ」
午前中、のんびりと寝入る、やはり、一人は良い。


市場に入り込む。
魚も蛙もまだ動いている。
2、3匹の魚を並べている人、南瓜を2、3個並べている人、倹しい商いだ。



宿の娘が典型的だが、
中国系の商いに較べこんなラオスの人々の商いは子供みたいなものだ。
益々格差が広がるのが眼に見えている。

日本人を一人も見ないが、宿の娘の話では結構来ているらしい。
日本で発行しているラオスの案内書が幾つか有るが、
ラオスの変化のスピードには追いつけないようだ。
バクセーからカンボジャへの素晴らしい二車線の道路など、まだ真新しい。
バスの便もキチンとしているらしい。

しかし、聞く人によって、バスの時間が
「6時」
「7時」
「6時半と7時と10時」
「6時、7時、8時」
様々だ。

隣の二人の外人女性が話し掛けて来た。
何回か見てる顔だ。
一人は印度人と見たが、印度とイギリスの混血だそうだ、
もう一人はイギリス人、 二人とも30前後か。

  

イギリス人の方はラオラオをチビリチビリやっている。
二人とも陽気この上ない。
印度混血娘の方は、整った鼻筋に、顔の大部分を占めるような大きな、
少し茶色がかった瞳がチャーミング、
しかし、時折、大きな口を開けて喉から絞り出すような高笑いは戴けない。

夕焼けが夕闇になり夕立になった。
凄まじい雨勢だ。
細い氷が並んだように屋根からメコンまで雨水が繋がる。
3秒から15秒間隔位に稲光、水の簾を通してメコンの川面が浮かび上がり、
向こう岸が見えるまでの明るくなる。
二人と話が弾む。 旅の話になる。
私があちらこちら旅ばかりしていると話すと、
「誰が家をkeepしているの?」
「カミさん」
「奥さん、満足しているの?」
二人はバンコクに住んでいるらしい。
印度系の方は歯医者さんらしい。
e−mailアドレスの交換をする。


豪快なイギリス娘

朝、宿賃を100$紙幣で支払う、何故か大きい紙幣を欲しがる。
バスの発車時刻を何人かに尋ねたがどうも定かでない。
最終的に理解したのは、6時発、7時発は対岸のハッサイクンから、
8時発はここムアンコーンから出てフェリーで対岸に渡る、だがどうも怪しい。

結局、少し寝過ごして船着場に着いたのは7時半、誰もいない。
近くの店で尋ねると、
「そこで待っていればバスが来る」
と教えてくれた。
怪訝に待っていると、だんだん人が集まって来た。
大きな荷物を背負った白人達に土地の人達も交じる。
食べてみたら、道端で子供が売ってたのは焼きバナナだった。



昨夜の二人もやって来た。 私が、
「8時にバスが来るの?」
と尋ねると、イギリス娘の方が、
「I think so,あっはっは」
豪快に高笑いする。
「何時に着くの?」
「I don’t know,may be tomorrow or not、
私にも良く判らないのよー、でも、なるようになれヨーよ」
と大きな肩をすぼめる。
冗談だか本当だか判らない。

やがて、重い車体を引き摺るようにバスがやって来たが、既に何人かの客が乗っている。
ここが始発では無いのだ。
バスは岸辺を斜めに叩き割ったような傾斜を降り、そのままフェリーへ乗り上げる。
三隻の船を横に繋げた、いかにもお手製のフェリー、
対岸に着くと、猛々しい音を上げて土手を走り上がる。
ここまでで一時間掛かっている。


「Denger Blasting」

時々、水牛がノッシノッシと歩く真新しい道路をまっしぐらに走る。
北海道あたりで、
「鹿に注意!!」
の看板を見るが、そのうちに、ここには
「水牛に注意!!」
の看板が立つに違いない。
たまに、
「Denger Blasting」
の看板、冗談では無く、一寸した茂みに入ると、今でも、地雷が有るのだ。

バスが止まる度に女の子達が窓に寄ってくる。



突然、車が停まる。 対向から来たバスとピッタリ背中合わせになる。
荷物を反対の車に移し出した。 乗り換えだ。 有無も無い。

車の中は賑やか、現地人が30%、あとはバックパッカー、昨夜の印度混血娘が特に甲高い。
ときたま、両羽両足を縛られて横たわっている鶏も騒ぐ。
私の足の方まで占領している隣のおばさんの荷物が時々ピクピク動く。
口を開けて見せてくれたのは袋いっぱいの蛙だ。
所々で客を拾い肩が触れ合うほどの満員になる。

外から見たらいかにも窮屈そうに見えるに違いない。
しかし、爽快そのもの、トラックを改造したがっちりした木の骨組みと天井、
窓は無くメコンの河風が何とも心地よい。
AC付き、AC付きと気にして来たが、メコンのバスはこれに限る。
もっとも、メコン沿いの、カーブも緩い高速道路並みの真っ直ぐな道路だからだが、
悪路の場合は、それこそ、死を覚悟だろう。

途中、ワットプーへ行くなら此処からという小さな村で降りかかったが、
トゥトゥクも見当たらない。
素通りする。
あっと言う間の4時間半、パクセー郊外のだだ広いバスターミナル、
ここで、真っ直ぐバンコクまで帰ると言う二人とお別れだ。

つづく

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